2013年7月13日(土)-8月4日(日) 11:00-18:00
ギャルリ 百草
岐阜県多治見市東栄町2-8-16
http://www.momogusa.com
0572-21-3368
植物を記憶すること
人にとって植物のイメージは、網膜に写った断片を切り取り、編集して固着させたものである。だから絵に描けば、花はいつもこちらを向いている。その象徴が生け花であり盆栽である。庭を持つ者は、その固着したイメージを保つ為、庭木の剪定を続けなければならない。人は何故、植物のイメージを固着させるようになったのだろう。 「市中の山居」とは茶室の代名詞である。自然に囲まれた山の中で、花を花瓶に生けても陳腐な結果に終わってしまうように、都会に居て自然を想うことが生け花や盆栽となって意味を生じてくる。それを見る場所が茶室なのである。 「花は野にあるように」と言ったのは千利休だが、茶室に生ける花は、今まさに、野辺で足下に咲いている花を見ているかのように生ける。日本人の季節感は、ミクロに切り取った自然の記憶を断片的に繋ぎながら更新されていく。欧州ではもっと力業的に、自然は都市に取り込まれている。田舎家までも再現したというマリー・アントワネットの庭園は極端な例として、ロンドンのハイドパーク、ニューヨークのセントラルパークなどの公園は、田舎の自然をダイナミックに再現している。また野の花は、他所の国のものまで採集し、ガラスで囲まれた植物園と温室で育てられている。
「植物の時間」と題した今展、二人の作家の歩みは、植物を題材とする共通点はあるものの、見つめる角度に相違がある。 PLANT/PLANT の浅岡さんは、都会で育ち、実際に欧州の都市を旅して、都会人の自然への想いが、ガラス越しに見える温室の中に再現されていることを見て、自分の体験とどこかで重なっていくのを発見し、その過程が創作に結びついているように思う。小さな花や花びらその周りを舞う蝶。都会から見る自然は優しく、常に人を包み込む。市中の山居や古びた温室は自然への愛おしさを感じさせる装置だが、浅岡さんはそれをジュエリーにして表現されている。植物 「PLANT」をテーマに作品を作り続ける珍しい作家である。 一方、沖縄生まれでニューヨーク在住の照屋さんは、汽水域で川の流れに腰まで浸かりながら上流を見つめているかのように、自然と人工、沖縄と米国など、矛盾や不自然さを受け入れつつ、根本を「それってどうなのさ」とさり気なく突きつけてくる。沖縄の伝統技法の紅型で染め抜かれた図柄は、一見楽しさの中に、どきっとするサインも含まれ、沖縄に混在する戦後の歴史をポップに描いている。使い捨てにされる紙袋やトイレットペーパーの芯を切り抜いて、木を立ち上がらせている作品も、可愛らしいジオラマのように見えるが、紙の根本は木である事を暗示し、消費するという一方通行の流れに微かな抵抗をしている。市中の山居のような守られた場からではなく、自然の中で都会を想い、都会の中で自然を想う逞しさと優しさを持ち、共存する事の意味と方法論を提示する作家だと思う。二人の視点がどのように百草で交差するのか、暑い多治見の夏の山居で、共に楽しみたい展覧会である。
百草 安藤雅信
照屋勇賢 「朱の鳥、紅の空」 Scarlet Birds, Crimson Sky
PLANT / PLANT Clematis Shade Earrings
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